
|
こちらの項目はメールマガジン配信後に 順次ご閲覧いただけるようになります。 ▲ ふたたびアルジェリアへ1 ▲ ふたたびアルジェリアへ2 ▲ ふたたびアルジェリアへ3 ▲ アルジェリア人との再会そして授業1 ▲ アルジェリア人との再会そして授業2 ▲ アルジェリア人との再会そして授業3 ▲ アルジェリア人との再会そして授業4 ▲ アルジェリア人との再会そして授業5 ▲ 同じ国の別世界1 ▲ 同じ国の別世界2 ▲ テストテストまたテスト ▲ 帰された講師たち1 ▲ 帰された講師たち2 ▲ 帰された講師たち3 ▲ 同居者・ギニア人講師ヤイ1 ▲ 同居者・ギニア人講師ヤイ2 ▲ 『ん』で名が始まる同僚 ▲ アルジェリア人医師 ▲ アミエルと家族 ▲ ジャン・ジャックとヤエル ▲ アルズーの一家 ▲ マックス・ガリッグ、私を変えた人 ☆彼のエピソードその1 ☆その2魔術師 ☆その3キュラソー ☆その4コンビナートの泥棒 ▲ マックスの愛犬サム ▲ 日本人宿舎(塀の中の人々) ▲ 日本人宿舎(塀の中の人々)2 ▲ 断食月・ラマダン迫る ▲ えっ!ひと月の休暇? ▲ ロンドンの三日間 ▲ ポーからの出発 ▲ モロッコ入国できず1 ▲ モロッコ入国できず2 ▲ モロッコ入国できず3 ▲ 最後の試み ▲ 最後の試み2 ▲ ポーからの旅路1 ▲ ポーからの旅路2 ▲ ポーからの旅路3 ▲ ポーからの旅路4 ▲ ポーからの旅路5 ▲ アルジェリア再び ▲ 引越、また引越、そしてオランへ ▲ 車荒らしと通勤ルートの怪1 ▲ 車荒らしと通勤ルートの怪2 ▲ マラソン大会のインチキ ▲ アルジェリアの女たち ▲ 家政婦「ゾラ」 ▲ 異文化経験1 ▲ 異文化経験2 ▲ 再び授業へ ☆生徒にゼロだと罵られる ☆工場見学 ▲ 特徴的クラス ▲ ある生徒の招待1 ▲ ある生徒の招待2 ▲ 石油化学工場の試運転1 ▲ 石油化学工場の試運転2 ▲ 石油化学工場の試運転3 ▲ 石油化学工場の試運転4 ▲ 胃潰瘍か ▲ フランスの食卓1 ▲ フランスの食卓2 ▲ フランス語マスターの道 ▲ 休暇、東ベルリンへ1 ▲ 休暇、東ベルリンへ2 ▲ クリスマス休暇 ▲ オランダ人重役、ドルフ ▲ 飛行場物語 ▲ 日本人通訳 ▲ 初めての旅ビスクラ ▲ 千キロのヒッチハイク ▲ スペイン領メリリヤの旅 ▲ 最後の授業 ▲ 別れの船旅 ▲ 終わりに メールマガジン発行中です。(07/2/23創刊) 購読は以下のサイトよりお申し込みください。
● 第一話「パリの公衆浴場」 ● 第ニ話「パンドラの箱!?」 ● 第三話「ある日の授業」 ● 第四話「トップ.シークレット」 ● 第五話「露出狂生徒」 ● 第六話「契約交渉」 ● 第七話「そんなアホな1」 ● 第八話「そんなアホな2」 ● 第九話「ガリッグの努力」 ● 第十話「ポンプ」 ● 第十一話「こんな生徒には」 ● 第十二話「ゲテモノ食い」 お読みになった感想などお便りください。
滞在記、旅行記、写真など 読みごたえがあり綺麗なものばかり集めました。 ◆ アルジェリア・スキクダ ◆ 日本とアルジェリア(1973年ある日の午後) ◆ ポッケモンのアフリカ ◆ このたびのたび(Assalam Alaikum !) ◆ プロジェクトの舞台 ◆ アルジェリア、カミュが見た夢 ◆ Algerissimo ◆ アルジェ |
食事の楽しみもない。 理由は日本人用の食堂があり、味噌汁とご飯が毎食出るとはいえ、問題はどこも同じく、滞在後二週間もすると、味付けに飽きてくる。社員食堂と同様であ る。 しかし、ここでは他に行くところがなく選択の余地はない。メニューなど無くカレーとか、ラーメンなどの麺類、丼物と分かれているわけではない。全員が同じ物を食べる。 唯一の選択が、食べるか食べないかである。 以前の現場はもっとひどかった。 ご飯にはコクゾウ虫がいて、それが一口に一匹程度の割合で、黒ゴマのように混じっている。碗の中にはよって2〜30匹はいる。それらを箸でつまみ出しながら食べるのである。はじめはいやなものだったが、慣れるとどうという事もない。 ある日、よそで真白いご飯が出てきたときには感激したものだ。 さて、その虫入り御飯と共に出される野菜も、とても清潔とは言えない。 新鮮なのは良いが、カレーの人参やじゃがいもは皮が剥いてない。しかも米にはコクゾウ虫がいるから、はじめに虫をよく取りだした後にカレーをかけないと、虫まで食べてしまう。 現場で日本人の食事を見たアルジェリア人が、 「日本人は人参やじゃがいもの皮は剥かないのか」 と訊いたことがある。 「もちろん普通は剥くが、ここのコックはそこまでやらない」 と答えるしかない。 朝の卵焼きも無味である。せめて塩か醤油か下味をつけて欲しいと言ったが、返ってきた答は何もしないということだった。人それぞれ好みがあり、塩だけの人もいれば、砂糖を入れたり醤油やマヨネーズと、とても対応できないとい う。 それでもレストランでオムレツや卵焼きを注文すれば味がついている。何も入れないほど不味い卵焼きはない。結局手抜きの言い訳にしか聞こえなかった。 そんな日々が一年、二年と続く。それが永遠に続いたある日、待ちに待った業務完了日が来る。それまでのつらかった日々は、あっという間に過ぎたような気がするのは不思議なものである。 さて、日本に戻り、なにが待っているか。 海外手当とボーナスが貯まり、今までの苦労が報われた気がする。おまけに日 本では非居住者扱いであるから、所得税は免除されている。 独身者であればまず車を買う。それも即現金で。妻帯者ならそれを頭金に家を 買う。他人から見れば一年や二年、海外に行っていたくらいで、とたんに羽振 りがよくなり、色々買うのが癪にさわるらしい。 日本で仕事をしていた者にとっては、その間仕事をしていたのは同じで、どうして待遇がこうも違うのかと思ってしまう。従業員組合の中でも不満が出てくる。また人事や総務といった、海外赴任とはほとんど無縁の部署では不公平感が募り、挙げ句の果ては、帰国時には、他に寄らず真っ直ぐ帰れといいだす。 これは会社側が言うのでなく、組合から言ってくる。アルジェリアから日本に帰るときは必ずパリを経由する。誰もがせっかく立ち寄るパリを、もう一日、あるいは二、三日と思う。人によっては隣国であるドイツ、イタリア、英国にも行ってみたいだろう。 しかし他の組合員の反発を考慮すると、直帰することになる。 結局夢にまで見たパリは二年間の現場滞在の後、一晩を過ごしただけで帰国の便に搭乗する。いずれここの生活を詳しく書きたいが、退屈な日々の連続で、その繰り返しを人に話すのも退屈だ。その苦労は滞在の長さとともに、聞く人に理解されることはない。 さて、久しぶりに再会した昔の仲間は、楽しく過ごしていたので安心した。 そして宿舎の生活が、いかに退屈かを知っていたので、私はときどきドライブに誘い、食事に招いた。 【編集後記】 ここの部分はあまり思い出したくないにです。アルジェリア東部のスキクダにいたときの事を思い出してしまいます。それに比べ、ここオランの街、気候、風土、環境と言い、待遇と言い、まさに雲泥の差というありさまでした。 ただ、あの時の経験があったからこそ今ここにいられるのかも知れません。 人生なにがどうつながるか分からないものです。 今でも建設現場はこんな状況でしょうか。 |