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● 第一話「パリの公衆浴場」 ● 第ニ話「パンドラの箱!?」 ● 第三話「ある日の授業」 ● 第四話「トップ.シークレット」 ● 第五話「露出狂生徒」 ● 第六話「契約交渉」 ● 第七話「そんなアホな1」 ● 第八話「そんなアホな2」 ● 第九話「ガリッグの努力」 ● 第十話「ポンプ」 ● 第十一話「こんな生徒には」 ● 第十二話「ゲテモノ食い」 お読みになった感想などお便りください。
滞在記、旅行記、写真など 読みごたえがあり綺麗なものばかり集めました。 ◆ アルジェリア・スキクダ ◆ 日本とアルジェリア(1973年ある日の午後) ◆ ポッケモンのアフリカ ◆ このたびのたび(Assalam Alaikum !) ◆ プロジェクトの舞台 ◆ アルジェリア、カミュが見た夢 ◆ Algerissimo ◆ アルジェ |
たとえばこの家族には、二十歳前の娘が二人いる。彼女らは職がないので、我々の世話をしてあげるという話が持ち上がった。だが毎日世話をしてもらうほどではないので、週一回の掃除、洗濯、家事をやってもらうという提案をした。しかし承諾してはもらえなかった。それでは賃金が少なすぎるというのが理由のようだ。 お世辞にも可愛いとはいいがたく、歯並びの悪さが目立ち、そばにいても不快である。姉妹とも似たり寄ったりである。後々ヤイが言うには、結構彼には興味があり、キスまでは許してくれたそうだ。 姉の方と、週に一回の部屋掃除を手当は半額で、という条件で交渉をしていると、母親がすごい勢いで駆け込んできた。我々の話を遮って、砂糖を分けてくれと言う。わざわざ砂糖壷を空にし、見え透いた口実とちぐはぐな慌てようの母親を見て、我々二人は顔を見合わせ驚いた。 娘が男達と話をしていること自体が不安でたまらないようだ。ここまで猜疑心が強いとは話にならず、関わるまいと、彼と私は目配せをした。母親は肝心の砂糖をよそに娘を連れだした。その後彼女達と会う機会はほとんどなかった。 ある朝、出勤のため車に乗ろうとすると、珍しく姉のほうが中庭で声をかけてきた。 今日はどうしたことかと思ったら、昨日入荷したゴーダチーズを分けてあげると寄ってくる。 この国では外国の食料がたまに市中に出る。そんなとき、日頃閑散としているスーパーは賑わい、皆は買いだめをする。私は、チーズをくれるものと思い、礼を言うと50ディナールだという。しかも値段の部分をわざとはがしてあるが、昨日アルズーのスーパーマーケットでそれが25ディナールだったのを、私は知っている。 「そう、それは美味しそうだねー、みんなで食べたら?」 といって取りあわなかった。 ヤイの共同生活について、話を戻す。 生活を共にして、彼の生き方、生活習慣がことごとく違うのに驚き疲れたが、そのとき自分が日本人であることを痛感した。私の生活習慣、常識は外国生活が長くフランスの影響をいくらか受けたとしても、日本人のそれであって、彼とはかけ離れていた。 彼もそれ以上に感じているらしく、そのギャップは二倍といってもよかった。 私の問題は一言でいえば、自分の生活習慣が正しく、彼が間違っていて、それを直したいと思うことであった。それは自分のやりかたや常識を他人に押しつける、日本人全般の行動の典型に他ならないことを感じた。 やることなすこと、ことごとく私と違う。それもみな、私にすれば常識外れの非効率そのものであった。結果がわかっているから、そんな風にしては駄目だ、順番が違う、やり方がまずい、ああもう見てられないと、あれこれ口を挟む。 はじめの一週間はいちいち文句を言っていた。そのうち疲れてきた。彼も疲れてくるし、いらいらする。しかし、それを言っても彼の生活は何も変わらず、状況は好転しない。日本人に味噌・醤油と畳、風呂のない生活をしろ、あぐらはかくな、鼻をほじるな云々というようなもので、無理である。 結論として、相手の生活習慣を尊重する、というよりむしろ、我関せず、好きなようにさせるところに行き着いた。私があれこれ言っても、そうした生活を何十年もして、これからも続けていくだろう。今更何を言おうと彼の習慣は、何も変わらないに違いない。 そう思うと気が楽になった。別に自分の兄弟、わが子ではない。それまで同居して、一緒に食事を作り食べていたことも、その必然性は何もないことに気づいた。彼の食事は一風変わっている。鍋で御飯を炊くが、米と水の量、火の強弱はいい加減で、必ず焦げて三分の一は食べられない。食べられるうちの半分程、二人で食べたら満腹し、残り半分はいつも捨ててしまう。 料理は毎回必ず、トマトソースで煮込む鶏である。 一、二回は美味しいと思ってたべるが、毎日そればかりで三日で嫌になった。 ある日ヤイに言う。 「ヤイ、オレはもういい。鶏も美味しいし、おまえさんの料理は素晴らしい。 とにかくおまえさんの好きなようにしてくれ。 ただしオレはオレの好きなものを料理して食う」 彼は、にやっとして 「そうかそうか、オレの料理もまんざらでもないか」 と、分かったのかどうか、そんな不可解な返事をしたが、気まずくなることはなかった。 それからは平穏な日々が戻ってきた。とはいっても、彼と仲違いしたわけでも口もきかずに暮らしたわけではない。相変わらずよく一緒に出かけたし、ジェミラも頻繁に来た。夜になるとたいていどこかに出かけるか、誰かが来る。三度に一度は私も同行した。行先には必ず年頃の娘がいたり、離婚した女がいたりで、色々話をし、別の面を見ることが出来た。 そうしたことで、ここの生活は、以前の印象とはかなり違ってきた。 【編集後記】 ヤイとの暮らしは毎日がハプニングでしたがいちいち言葉に出して自分の意志を伝え、相手の意向を確認することの連続ではじめは疲れていましたが、実は日本人同士でもそれがあることに気づきます。 結婚すると、あるいは同棲生活の中ではそれこそ相手の箸の上げ下げから茶碗の持ち方までいちいち気になったことはないでしょうか。 同じ日本人だから言わなくても分かるでしょう、などというのは幻想でしかありません。家には家の家風ともいうべき「常識」があり、それは他の家にはなかったりするものです。 ですから我が家では「口に出して言うこと」が大原則になっています。 |